人権を侵害されてきた“ハンセン病”の歴史

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日テレNEWS24

 12月4日から12月10日は、偏見や差別のない社会の実現を呼びかける「人権週間」だ。かつて根強い差別にさらされ、人権を侵害されてきた“ハンセン病”についてお伝えする。
 誰もが平等に持つべき人権が国により侵害された“ハンセン病”の歴史。ハンセン病はらい菌の感染によるもので、治療薬がなかった時代には、症状が悪化し顔や手足が変形していった。原因は遺伝によるものだという迷信も根強く、患者だけでなく家族も差別されてきた。
 東京・東村山市にある国立療養所多磨全生園。ここはハンセン病患者が隔離収容されていた場所だ。全国の療養所に隔離された人の数は最も多いときで約1万2000人もいた。
 感染がわかると警察官がやってきて家族から引き離され療養所に入れられた。戸籍から除名されたり実名を変えたりする人もいた。また療養所の中で結婚をしても子どもを産むことは許されなかった。療養所の門をくぐると一生出られないといわれ、実際に所内の納骨堂には大勢の人たちが眠っている。
 1940年代には薬ができ病気は治るようになった。感染力も弱く隔離も必要ないとわかったが、国は1996年に、らい予防法が廃止されるまで隔離政策を続けた。2001年、熊本地裁の判決を受けて、国は患者と元患者に謝罪した。
 理解が完全ではないため生まれた差別。全生園には今も生活している人がいる。理由は高齢化や重い後遺症、生活基盤を失ったためで176人の元患者が暮らしている(2017年5月1日時点)。