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※ 視聴回数は1日1回更新されます。宮城県女川町は、東日本大震災で8割を超える建物が被災し、人口減少率が日本一となった。そんな女川町が移住者が増える「まちづくり」のお手本となっている。
東日本大震災では、町の8割を超える建物が被災。その後、人口減少率が日本一だった宮城県女川町だが、駅前に新設された商店街を中心に、県内外から多くの観光客を集めるまでに変化を遂げた。
さらにインターンシップやお試し移住制度を設け、若い働き手を増やしている。春休みを利用して女川で働くことを選んだ3人の大学生がいる。その中の一人、東北芸術工科大学2年・松本萌花さんは「将来地元で何かがしたいと考えているので、何かヒントになればいいなと思って来ました」と話す。
30日間まで、シェアハウスに宿泊費無料で滞在することができるという“お試し移住制度”を利用している松本さんは福島県広野町出身だ。
東日本大震災直前の2011年3月に発行された広野町の広報誌。当時中学1年だった松本さんは友達と一緒に表紙を飾った。しかし、広野町が福島第一原発から30キロ圏内にあったため、原発事故の影響で友達とは離ればなれになったという。
松本さん「私自身、すごく地元が好きで、広野に戻ってきて何かがしたいというのが私の夢です」
松本さんはにぎわいのヒントを女川で学びたいと訪れたのだ。震災後、女川の人口は減少したが、住民が一体となってまちづくりが進められた。
海が見える町、魅力的なお店、居住者が増える仕組みづくり、そして他県の若者が憧れる町へと成長したのだ。
松本さん「女川に来たいと思って来てくれる人がたくさんいると思うと、やっぱり女川はすごいなと思います。いつかは(広野町も)こんな風になればいいなって思います」