和竿からグラスロッドへ その3

視聴回数729,851

※ 視聴回数は1日1回更新されます。
©釣りビジョン

株式会社釣りビジョン

みなさんは釣竿の歴史についてどのくらいご存じだろうか。
古くから、日本には良質の竹が多く生育していたことから、竹で出来た竿(和竿)が釣りに使用されてきた。比較的真っ直ぐな素性の良い竹を選定し、枝などをトリミングした「竹の幹一本もの」の竿である。
しかし、昭和20年(1945年)に終戦を迎え、連合軍統治下の時代、米兵の土産や欧米への輸出品として、「スプリットバンブーロッド(六角竿)」なるものが大量に生産れることになった。バンブーという文字が示す通り、竿の素材は「竹」ではあるが、スプリットという名が指すところは、引き裂き六面を作る六角形の竿だということ。更に和竿と異なる部分として、糸を通すガイドが付いていることが特徴である。当時、欧米では既にリールが普及しており、「リール竿」の需要が高かったのだ。
そんなスプリットバンブーロッドは、国内では一切販売されていなかった。輸出品として外貨獲得の主力商品となっていたのである。日本国内は食糧難がまだまだ続く状況で、釣りという行為は、趣味で嗜むものより、食糧確保の手段、といった時代。日本人にとっては、まだまだ竹竿(和竿)中心の貧しい時代であった。
ところが、米国の技術革新で化学繊維が次々と誕生し、その一つ「ガラス繊維」が竿の歴史に革命を起こすことになっていく。
日本は戦後の高度経済成長によって生活にも徐々にゆとりが生まれてくる。米国由来のガラス繊維も日本企業が工業化に成功。様々な分野に応用されるが、釣竿の材料としても活躍した。竹竿との大きな違いは竿の製品の均一化と大量生産。そして折れにくいということ。それまで竹竿では対処不能だった大物にも対応できるようになる。そんなガラス繊維で出来たグラスロッドは昭和20年代の後半から日本でも製造されるようになった。しかし、国内では販売されることはなく、輸出用の花形商品として外貨獲得の商材として活躍する。そのグラスロッドが日本で販売されるようになるのは昭和30年代以降。更に国内生産されたガラス繊維で純国産品として販売されるようになったのは昭和38年以降。この頃には日本でもレジャーという言葉が生まれ、グラスロッドが釣りブームの火付け役となる。しかし、その革命的な釣竿と呼ばれたグラスロッドが簡単には浸透することはなかったのである…
昭和30年代後半からガラス繊維という新素材を使った竿作りが国内で各社生産される。中でも当時大手であったエビス釣具、オリムピック釣具、NFT(日本フィッシングタックル)は、各社の得意分野で竿製品を売り出していく。渓流小継竿のエビス、投げ竿のオリムピック、磯竿のNFTというのが当時世間の認識であった。しかし、この新しい新素材のガラス繊維で作るグラスロッドが世間一般にすぐに浸透したわけではない。それは何故なのか?ガラスという言葉で思い浮かべるのは脆く割れやすいというイメージ。その脆く割れやすいというイメージをなかなか払拭できず、釣り人から疑念を持たれていたのだ。それらを払拭するにあたり、奇想天外な実験を敢行した営業マンがいた。その実験を境に、飛ぶように売れていくことになる。しかし、様々あるジャンルの内、一部では竹竿時代とさほど変わらない重さとなってしまっていた。この「重さ」という難点を覆すことが出来ず、更なる新素材の出現により、その座を明け渡すことになる。第2の竿革命はこうして起こるのである。