広島の女子高生が伝え残す被爆体験

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日テレNEWS24

核兵器廃絶を呼びかける署名活動を行っている広島の高校生たちが、ある被爆者の体験を翻訳している。キッカケとなったのは、1人の高校生のスピーチだった。
橋本瀬奈さんは高校時代、広島県福山市にある盈進中高のヒューマンライツ部に所属していた。橋本さんがきっかけをつくり、後輩たちは、被爆者坪井直さんの体験を語り継ぐために活動している。坪井さんは、オバマ元大統領が広島を訪問した時に真っ先に握手を交わした男性で各地で、原爆被害を伝えてきた語り部の1人だ。
ヒューマンライツ部と坪井さんとの出会いは、今から4年前にさかのぼる。橋本さんが広島の被爆者の集いで高校生代表としてスピーチし、感動した坪井さんから握手を求められたのだ。
橋本さんは曾祖父(そうそふ)を原爆で亡くしていた。部の活動を機に、足取りをたどってみたのだ。
橋本さん「私の父方の曾祖父は原爆に命を奪われました。広島県警の警察官、32歳でした。単身赴任で広島で勤務中に亡くなりました。遺骨も遺品も残っていません」
広島市内の一角にある警察官の慰霊碑には、橋本さんの曾祖父の名前が刻まれている。
橋本さん「私の原点です」
徐々に肉付いてきた在りし日の曾祖父の姿。さらに驚くことに…
橋本さん「亡くなった場所が昨日、奇跡的にわかりました。この場所(スピーチ会場)で、曾祖父は亡くなったのです」
この場所とは、まさにスピーチをしていた会場。この土地にあった旧県庁で曾祖父が被爆したことがわかったのだ。
橋本さん「妻と子供たちを残し、さぞ無念だったことでしょう」
このスピーチの後、坪井さんから“若者たちのことは頼んだぞ”と、次の世代へ語り継いでいくことを託されたのだ。その思いは後輩にも伝わり、その後、部員たちは、これまで体験集がない坪井さんの記録を冊子にまとめた。涙ながらに、自身の体験を語った坪井さん。
坪井さん「とにかく、どういうことがあっても生きのびようねって誓いを」
橋本さんのスピーチから2年後、完成した冊子は原爆資料館に置かれている。
橋本さん「坪井先生と私たちをつなげてくれたのは、私じゃなくて、私の曾祖父の小川菊男だと思っているので」
そして今年は冊子を翻訳し世界に発信したいと後輩たちが取り組んでいる。
盈進中高ヒューマンライツ部 馬屋原瑠美部長「被爆地広島に生まれて、日本に育つ私たちの使命だと感じて、私は英語に訳しています」
橋本さん「活動はしっかり(後輩に)受け継いでもらっているってうれしいです」