松本死刑囚とはどんな人物だったのか?

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「オウム真理教が宗教であってはまずいわけだ!オウム真理教はインチキで金もうけの教団でなければまずいわけだろう!」――オウム真理教で多くの信者たちをひきいていた松本智津夫死刑囚。「尊師」としてあがめられていた。
逮捕されたのは1995年5月16日、地下鉄サリン事件の2か月後のことだった。教団施設の壁の中に隠れていたところを、捜査員に発見された。その姿に「尊師」としての威厳はなかった。
松本死刑囚は取り調べに対して「犯行は弟子達が志願して行った」などと供述。法廷でも、「ストップを命令しましたが、結果的には彼らに負けました」と弟子達に責任を押しつける発言を続けた。
さらには、英語まじりで「I NEVER KILL HIM」と話したり、「私には釈放命令が出ている」などの意味不明な発言を繰り返し、最後には一切の質問に対し、口を閉ざすようになった。死刑判決後、松本死刑囚は独居房で「なぜなんだ、ちくしょう!」と叫んだという。
控訴審の弁護団は「松本死刑囚は心神喪失状態で裁判を受ける能力がない」などと主張し、控訴審に必要な書類を提出しないという異例の対応に出た。しかし、裁判所は「精神病の水準にはない」と判断。書類が提出されなかったことで、控訴審が開かれないまま、死刑判決が確定した。
法務省関係者によると、東京拘置所で過ごしていた松本死刑囚は、逮捕時よりも少し痩せて髪の毛は白髪まじり。食事は3食しっかり食べ、風呂には介助を受けながら入浴しており、移動は歩くこともあれば、車いすのこともあったという。近年は、親族や弁護士との面会を拒否していた。