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※ 視聴回数は1日1回更新されます。日本が3大会ぶりに優勝を奪還したWBC、ワールドベースボールクラシックから3ヶ月。エンゼルスの大谷翔平選手をはじめ日本代表の選手たちはメジャーリーグで大活躍を続けている。一方、WBCの応援団として活躍していた元日本ハムファイターズの杉谷拳士はセカンドキャリアを踏み出した。杉谷拳士はヤフー検索で上半期の検索急上昇ランキングで1位。2008年ドラフト6位で日本ハムファイターズに入団。チームのムードメーカーとして活躍し、2022年に現役を引退した。引退後、持ち前の明るいキャラクターを武器にテレビに多数出演。WBCでもリポーターとしての姿も記憶に新しい。 2022年に現役を引退し、選手という目線ではなく、外側から野球を見た杉谷は「現役時代、共に切磋琢磨した選手が感情をむき出しにしてプレーしているのを見て、野球って面白いなと改めて感じましたし、一つのプレーでこんなにも人の心が動くんだなと実感しました。中でも投打に渡り活躍し、WBCのMVPを獲得した元チームメイトの大谷選手は杉谷から見ても、日本ハムファイターズ入団当時から365日野球のことだけを考え、野球中心の生活を続けるストイックさがあったと言う。杉谷からすれば、メジャーリーグのレギュラーシーズンでの活躍も当然なのかもしれない。僕自身も彼のストイックな一面、また野球を楽しんでる姿というのがファイターズ時代またアメリカに行っても変わらない姿だったので、もうこのまま突っ走ってもらいたいですね。もう、宇宙一の選手になってしまった。本当にファンとしても元気をもらっていますね」明るいキャラクターを武器に各方面からのオファーも増えた。しかし、杉谷は葛藤していた。「最初はなかなか難しかったです。引退してすぐお世話になることはとてもありがたいなと。ただ、自分が果たしたい野球界の貢献になっているのかな…と試行錯誤していました。」杉谷はその不安を日ハム時代お世話になった栗山監督に何度も話したという。杉谷は「拳士は拳士らしく、拳士にできることをやりなさい」「前に進みなさい」という言葉を胸に、新会社を設立した。これまでやってきた野球界に恩返しをしたいこと、野球の裾野を広げることが目標だ。中でも、自身がこれまで関わってきた野球の関係人口拡大が大きなミッションの一つだ。その背景には、杉谷自身が感じた野球人口の減少がある。野球をやっている少年が減少していることに少しでも歯止めをかけようと、ソフトボール、Baseball 5などのダイヤモンド型スポーツを学校や地域に訪れるなどして一緒にプレーし、地道な活動を続ける。このような活動を続ける理由は、杉谷自身が心から野球を好きになったオーストラリアでの経験が生きている。杉谷は2017年、プレーヤーとしてのキッカケを掴むために、日本のプロ野球のシーズンオフに、オーストラリアへ渡った。ファイターズでレギュラーの座に定着するために、オーストラリアのプロ野球球団ブリスベン・バンディッツで武者修行を敢行。杉谷は現地でも「kenny」と言う愛称で親しまれた。レギュラーを獲ってやろう、もっと技術を向上させたいと野球に打ち込んだ。最終戦には、「日ハムの杉谷が来ているぞ!」と日本人の方が球場に集結。オーストラリアの空に杉谷の応援歌がこだました。打席に立ったときに思った。「『今までは自分のために野球やっていたな。周りの人を笑顔にするために野球を始めたんだよな』と改めて思いました。声援を送ってくださる皆さんの笑顔を見て、『野球って本当に楽しいな』と感じました」