縄文土偶の野焼き体験、古代文化の世界を覗く【動画ライター】

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朝日新聞社

bouncy / バウンシー

さて今回は、神奈川県にある「学び舎・たちばなの木」にて、美術家・松山賢さんが講師を務める「土器・土偶づくりワークショップ」に参加した。
取材したのは2021年夏、近所の子供たちや市民の方々に混ざって、汗だくになりながら粘土を練って形を作り、別の日には一日がかりの野焼きにも立ち会った。
講師を務める美術家・松山賢さんは、現代美術をベースとしながらも縄文をテーマにした野焼き作品を多く手掛けている。
ワークショップは最初、粘土をよく練るところから始まった。これを怠ると粘土のなかに空気が入って、野焼きの際に破裂する可能性があるという。
後半は、ヘラや棒を使って、自分が作った土偶に装飾を施していった。今回、筆者が参考にしたのは三内丸山遺跡から出土した《大型板状土偶》であった。オリジナルを模して、耳にはピアス穴を開け、顔面に線刻を施し、身体には縄目を当てて、縄文の文様を施していった。
縄文土偶の装飾は、入墨(タトゥー)や瘢痕文身(スカリフィケーション)ではないかと、アカデミックの世界でも明治時代から議論となっていた。しかし、戦後になってからは、土器の編年研究(出土した土器の文様と年代を整理し、縄文時代を土器の文様を通じて理解しようとした)が主流となって、縄文時代における身体装飾についての議論は進まなかったという。
そのことが昨今のファッションとしてのタトゥーの流行に後押しされて、再び問い直されてきていることは興味深い。
今回、筆者が作った大型板状土偶を真似た土偶は、全体の寸法を本物とほぼ同じにすることに拘った。そのため全長30センチ、中空ではないのでズッシリと重い。実際にそれを真似て土偶を作ってみると、それぞれの装飾は身体改造であっただろうと実感させられる。まっさらの粘土の人型の顔や身体に文様を刻む行為はまさしく身体改造を施しているような気分で、装飾を施す行為は土偶に生命を吹き込んでいるようでもある。
火を使った野焼きの儀式性も相まって、土器や土偶づくりはその行為そのものが儀式のようである。実際、土偶は儀式のためと使われていたと言われており、この土偶のモデルは胸やおへその状態から妊婦であろうと思われる。そればかりか、実在のモデルの身体に土偶のような装飾が施されていたなら、縄文時代にはタトゥーや身体改造が非常に盛んであったと考えられる。
文字がない時代だからこそ、実際に作ってみることで縄文人の世界に近づくことができると思うのだ。
やっぱり縄文は最高だ!