織田信長の朱印状“約100年ぶり”に滋賀県の寺で発見 天下統一後は滋賀を本拠地にしようとしたか

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MBSニュース

 所在不明になっていた織田信長の朱印状。滋賀県の寺で約100年ぶりに発見です。
 織田信長の証である『天下布武』のハンコが押された書状。東近江市にある百済寺を自分専用の祈願所とすることなどが記されています。長らく所在不明になっていましたが、百済寺で約100年ぶりに発見されました。
 信長といえば、比叡山焼き討ちなど寺院に対して厳しい姿勢を取っていたというイメージがありますが、東近江市などによりますと、この朱印状には、信長が天下統一後に滋賀を本拠地にしようとしていたことや、そのために百済寺に注目していたことが読み取れるということです。
 (東近江市・企画部 明日一史参事)「百済寺の位置づけと信長を結ぶ価値のある史料だと思います」
 (百済寺 濱中亮成住職)「お寺を保護することが書かれています。信長の人物像を再度研究するために良い史料ではないかと思います」
 東近江市は今後、市の博物館などでの展示を検討していくということです。