マラリア地獄の波照間島「疎開しなければこんなに死ぬ人いなかった」

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太平洋戦争末期、沖縄県竹富町の波照間島からマラリアが蔓延(まんえん)していた同町の西表(いりおもて)島に軍命で疎開させられ、住民の約3分の1がマラリアで亡くなった「戦争マラリア」。15日、波照間島にできた慰霊碑の前で、記念式と初めての慰霊祭があり、悲劇を忘れないようにと当時を知る人や子どもたちが祈りを捧げた。
 碑は約20キロメートル離れた西表島が見える丘に、波照間島出身の有志らが寄付を募って建てた。高さ約4メートル、横幅約5メートルで「私達はこの史実を決して忘れてはならない」と刻まれている。慰霊祭には、家族を失った島民や関係者ら約250人が参列。献花した後、波照間小中学校の児童らが、かつて子どもたちが戦争マラリアをテーマに作詞した「星になった子どもたち」を合唱した。
 竹富町史によると終戦直後にかけての波照間島の人口は1671人。このうち戦争で亡くなった人は522人で、9割以上がマラリアでの死者だった。