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復活期すキンクミの夢「父に勝つ姿を」インタビュー

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日刊スポーツ

もう1度、父に優勝を-。女子ゴルフの金田久美子(31=スタンレー電気)が、復活への道を歩む。10年ぶりに下部(ステップアップ)ツアーに参戦する今季、予選会を突破して10月1日開幕の日本女子オープン(福岡、ザ・クラシックGC)出場権をつかんだ。男手ひとつで育ててくれた父弘吉さん(77)に11年フジサンケイレディース以来のツアー通算2勝目を見せる、その日まで。「このままでは終わりたくない」-。日刊スポーツの独占インタビューで、知られざる思いを明かした。
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諦めきれない夢がある。QTランク113位の今季、金田は10年ぶりにステップアップ(下部)ツアーが主戦場になった。予選会を突破し4年ぶりにつかんだ日本女子オープンの出場権。再び、輝きたい-。その願いは、誰よりも強い。
「みんなから言われることありますよ。『まだ辞めないの?』って。でも引退する選択肢はないです。このまま終わっていくのかな~って、頭をよぎることもありますけど、まだ終わりたくはない。ずっとパパとやってきましたから、見せたいですよね。もう1回、勝つ姿を」
77歳になる父弘吉さんは、男手ひとつで育ててくれた。小学6年から20歳を過ぎるまで、父との2人暮らし。3歳でゴルフを始めてから二人三脚でプロになる目標を追い続けてきた。父は厳しかった。小学生の頃、鬼ごっこをして転んで帰ってきただけで「ケガをしたらゴルフができなくなるだろ!」と叱られた。40度の熱を出しても練習は休ませてくれなかった。思春期になり、母がいない寂しさと、父への反抗心から、家を飛び出したことがある。
「ゴルフしかしていなくて、運動会とか学校の行事にも行けなかった。中学になって、グレて家に帰らなくなって、『ゴルフを辞める』って言おうとしたんです。そしたら、その日の夕方にパパが倒れてしまった。急いで病院に行ったら、もう話せる状態ではなかった。それなのに私の気配を感じて、パッと目を開けて『練習はしているか?』って言ったんです。もう、辞められるわけないですよね。それから、辞めたいなんて思ったことはないです」
毎朝早く炊事場に立ってご飯を炊き、コースで食べる昼のオニギリに、夕食も作ってくれた。遠征先では同じ部屋で寝泊まりした。新型コロナウイルス感染防止のため家族も会場に入れない今季をのぞけば、アマ時代を含め、試合会場に父の姿がなかったのは2度。14年にゴルフの攻め方で大げんかをして、2週連続で応援に来なかった。たったそれだけ。それ以外はいつも必ず、そばには父がいた。
国内ツアーは渋野ら98年度生まれの黄金世代が輝きを放ち、01年生まれの19歳笹生ら新世代も台頭。一気に世代交代が進む。
かつて天才少女と呼ばれた金田は、8月で31歳になった。優勝への飢えは薄れるどころか、どんどん増していく。拠点にする名古屋から大阪まで週に2度、車で通うようになった。今年から、そんな生活を送る。
「昔から『自分の好きなスイングをしろ』って教わっていたんです。人とは違うクセの強いスイングで、感覚でやっていたから、どこが悪いかも分からなかった。2015~16年頃かな。バンカーも越えなくて、グリーンに乗らない。それから手が動かなくなった。ここ4~5年はうまくいく日がなくて、心が折れそうでした。でも最近は考えるようになって、どこが悪いか分かるんです。調子が悪くなると、手の皮がむける。筋力が弱いと、踏ん張れないからなんですよね」
下半身を中心に体幹を強化。以前の手で打つスイングから、体全体を使う形に変えた。完璧ではないが、手応えはつかんでいる。
「思い描いていたゴルフ人生があって、まだ満足できる瞬間は1回も味わっていないんです。また勝ちたいし、パパの喜ぶ顔が見たい。くちゃくちゃ(むちゃくちゃ)な人で、若い頃は遊びまくっていたみたいですけど、小学生で母がいなくなってからは、1回も家にいなかったことはないんです。飲みにも行かなくなった。恩返しって言うんですかね。だから、このままでは辞められないです」
もう1度、優勝を-。まばゆいばかりの輝きを-。大切な人へ、はい上がる姿を見せたい。【益子浩一】
◆金田久美子(かねだ・くみこ)1989年(平元)8月14日、名古屋市生まれ。3歳から競技を始め、クラーク記念国際高へ。98年に8歳で世界ジュニアを制し、タイガー・ウッズと並ぶ年少記録を樹立。同大会は00、01、03、04年も制覇。アマ時代は07年ベルーナLでコース記録63を出すなど国内ツアーで計16度のローアマ。ツアー通算1勝(11年フジサンケイレディース)。日本女子オープンは05年に初出場し17位、11年は首位発進しながら43位。17年に賞金シード喪失。166センチ、51キロ。