照ノ富士が朝乃山を破り単独トップ

視聴回数530,299

※ 視聴回数について

日刊スポーツ

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館
東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、新旧大関対決を制して単独トップに立った。
新大関朝乃山との1敗同士の一番を、右四つから力で寄り切った。14日目に関脇正代を破り、朝乃山が前頭照強に敗れれば、30場所ぶり2度目の優勝が決まる。序二段から史上初の幕内復帰を果たし、幕尻で迎えた今場所。大関経験者が関脇以下で優勝すれば、昭和以降2人目の快挙となる。朝乃山は2敗目で1歩後退。3敗の正代、御嶽海の両関脇も優勝の可能性を残した。
   ◇   ◇   ◇
大関経験者の照ノ富士が、相四つの新大関を力でねじ伏せた。左上手に手がかかったのは、朝乃山とほぼ同時。「(今場所の朝乃山は)大関なので強い相撲を見せているから、自分のかたちに持っていってやろうと」。相手の絶対的な左上手を切ると、右でかいなを返し、怪力で左上手を引きつけた。朝乃山を寄り切ると、土俵上でふーっと一つ息を吐く。「まだ2日あるので」。単独トップに立っても、浮足立つことはなかった。
関取に返り咲いた1月以降、朝乃山を絶好の稽古相手としていた。時津風部屋に出稽古した際は、申し合いで朝乃山を積極的に指名。初場所前の稽古では朝乃山を独占するあまり、稽古を見守っていた安治川親方(元関脇安美錦)から注意を受けることもあった。「(稽古では)右四つで組んで力を出してくれる相手がいなかった。いい稽古相手になると思ってやっていた」と照ノ富士。当時関脇だった朝乃山を“踏み台”に、右四つの感覚を磨いた。
初優勝は5年前。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声は高かった。しかし、昇進後は地獄が待っていた。
両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に引退を慰留された。「『とりあえずは治してから話をしよう』と。相撲から1度離れて、自分の体と向き合った。今の事実を受け入れて、それでやりきろうと思った」。1年以上かけて、土俵に戻る決心を固めた。
記録ずくめの優勝は、14日目にも決まる。大関経験者が関脇以下で優勝すれば1976年秋場所の魁傑以来で、昭和以降2人目。前回優勝した15年夏場所との間隔は30場所と約5年で、史上2位のブランク優勝となる。残り2日へ「やってきたことを信じてやるだけ」。コロナ禍の世の中に希望を与えるような復活劇が、実現しようとしている。