頭に生け花を飾るパフォーマンス「HANANINGEN(花人間)プロジェクト」で世界的に注目される札幌のフローリスト、清野光さん。フラワーアート集団を率い、海外でも活躍する清野さんに、北海道が目指すべきブランディング策やクリエイター育成方法を聞きました。
パンクロックからフラワーアートへ…転機は東日本大震災
――子どものころに熱中していたものは?
音楽ですね。中学生からパンクロックをやっていて。毎日ライダースを着て、髪もチリチリのドレッドスタイルで。そういう高校生でした。
――花にはどのように近づいていったのですか?
札幌市のお花屋さんのワークショップに行ったり、北海道芸術デザイン専門学校のフラワーデザイン専攻に入学したりしました。
実績積もうと海外へ…有名プロデューサーと出会い"ファッション"の世界に
――卒業後は?
先輩の経営者に会えるチャンスがあり、「結局今何やってるの?」と言われて。学生のニートですと答えたら、「実績がないなら、話にならない」とはっきり言ってもらえて。海外に行きました。
早々に海外で就職しようとしても無理で。ファッションプロデューサーのボクソール・ケイコさんに出会い、「あんたホームレスになるからホストマザーになってあげるよ」と言ってくれたんです。その人は、コシノジュンコさんとショーを作っていた人。たまたま出会い、仕事を手伝う代わりに「家賃いらないから住めば? お金ないんでしょ?」と言ってくれて。
「花を愛せる人を作りたい」"花人間"で広めた世界観
――カナダから帰国後、札幌にお店を出しましたね。自分のお店を持った感想は?
スタートは大ショックでしたね。誰も花を買わない。最初にカナダに行ったのが、大間違いなんですよ。カナダは女性にお花をあげる文化が根付いていました。バレンタインデーには花屋に100mぐらい行列ができるんです。
――売るためにどういう策に乗り出したんですか?
元々のグランドデザインは「花を愛せる人を作っていきたい」。花を売るだけでは好きなってもらえないので、頭に花をつけたら手っ取り早いのではないかと考えました。
その人の好きな花が永遠に写真に残るので、SNS時代には適していると。
――「花を愛せる人を作っていきたい」という掲げた目標を実現できたという感触はありますか?
尖がっていたので、「花の名前忘れてたら、写真送らないですからね」「忘れてたら消しますね」と伝えていましたね。思い返すと、お客さんにひどいことを言ってました。
北海道をブランディング…クリエイター育成の場所づくりを
――コロナ禍での影響はありましたか?
ズタボロでしたね。ウェディングがなくなったので。とにかくSDGsの波に乗っていくしかないなと。持続可能な社会を目指すために、方向性を変えました。ロスフラワー展覧会を開催したり、大手企業からロスフラワーを集めたディスプレイを作り、横浜や東京で展示したり。
――現在の拠点はどちらですか?
アーティスト活動は、東京とロサンゼルス。お店がバンコクにもあるので、月1でバンコクにも行ってます。
――ロサンゼルスにいる時はどういう仕事をしているんですか?
自分を育てている期間。日本で「HANANINGEN」(花人間)を広めた時のように、映画監督のところに行きアピールしています。
派手な世界の人と派手なことをすると、いろいろな人が見てくれる。だけど、僕がブランディングしたいのは、自然と北海道の街なんです。
東京ではなく、北海道や札幌の人をずっと大事にしたくて。他の地域にはあまり興味がないんですよ。
――今後の展開は?
若者たちの夢づくりも考えたい。クリエイターやデザイナー、アーティストをやりたい若者はめちゃくちゃいるんですよ。ただ、親に「何万人に1人がやる世界だから、あなたにはやれない」と言われます。そういう子がたくさんいるんですよね。
僕は誰でもできると思っています。そういう子たちが活躍するコミュニティーを、札幌市に作ろうと思っています。札幌市北区に広い場所を借りて、石倉の中で30歳以下の人たちが好き放題やれる空間を作ります。
札幌市の姉妹都市、アメリカのポートランドと組んで、日本からアーティスト・クリエイターを世界に飛ばしていくことも考えています。クリエイターと学生が集まって仕事をつくり、「こういう世界があるよ」と見せられる場所と直接つながる場所をつくろうと思っています。