震災で娘失い…「停電しない町」実現した父

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日テレNEWS24

震災で、自らも娘を失った中、市職員(当時)として避難所に食料を供給した高橋宗也さん。「こんなつらい思いは我々だけで…」という思いとともに実現したのは「災害に強い町」です。
震災の教訓から生まれた停電しない町「スマート防災エコタウン」。ここでは、敷地内に太陽光パネルを設置し発電し、85戸の住宅で使われる電力を自前でまかなっています。蓄電装置の中には、大量の蓄電池があり、エリア内の住宅や施設が使用するには、十分な電力を供給できます。
非常時はバイオディーゼル発電を併用し、停電しても約20秒で復旧します。災害時に人命を左右するといわれる72時間の壁を想定し、停電時も3日間は通常の生活を行えます。
さらに、近隣の病院にも電力を供給。災害時で医療がストップすることはありません。スマート防災エコタウンと名付けられた宮城県東松島市の災害公営住宅。この町は、東日本大震災の教訓から誕生しました。
当時、市の職員として災害対応にあたっていた高橋宗也さん。慰霊碑に刻まれた犠牲者の中には、当時22歳だった娘の名前があります。
高橋さん「娘を、体育館の安置所に置きながら避難所に食料供給っていう――ですから、繰り返したくない。こんなつらい思いは我々だけで」
東松島市では、死者1109人、行方不明者24人。冬の東北の寒さから、停電のために、暖をとることができず、低体温で亡くなる人もいました。
犠牲者への思いから、立ち上げたのが、スマート防災エコタウン構想。高橋さんも中心の1人として防災に強い町づくりを研究しました。そして、市は、電力会社を設立し、自前で電柱をたてました。現在は、国内外の被災地からの視察が多く、災害に負けない町づくりのノウハウを伝えています。
高橋さん「全て無くしてしまったので、絶対復興して、いい町をつくっていきたいという話は(遺族から)でますね」